ストーリー

『手紙のかわりに』 第3話:開けられなかった引き出し

owner

愛するペットとの感動ストーリー

第3話『開けられなかった引き出し』

朝の光がカーテン越しにやわらかく差し込む。

その光の先、窓際のラグの上で、犬が静かにまどろんでいた。
昨日までは部屋の隅にいたあの子が、自ら少しだけ移動していた。
ただ、それだけのことなのに、私は小さく驚き、小さくうれしくなった。

「おはよう」

声に反応して、犬が小さくまぶたを動かす。
目は合わなかったけれど、その仕草が答えのように思えて、心がふっとやわらかくなる。

仕事は、相変わらず忙しかった。

昼休みもろくに取れず、夕方には修正指示が3件まとめて飛んできて、
“やってらんないな”って心の中で何度も思った。

でも、不思議と前よりは疲れを持ち帰らなくなってきた気がする。

家に帰れば、あの子がいる。
無言で、何も要求してこないのに、そこに“いる”だけで安心する存在。

それが、こんなに心を支えてくれるなんて思わなかった。

夜。
夕食を終え、いつものようにソファで紅茶をすすっていると、犬がゆっくりと立ち上がった。
一歩、二歩。こちらに近づいてくる。
私は思わず、カップを置いた。

「……どうしたの?」

犬は私の前まで来て、そっと座る。
その目は、まっすぐこちらを見ていた。

何か言葉が必要だったのかもしれない。
でも私は、ただその視線に包まれていた。

静かな時間の中で、ひとつの感情がふと浮かんでくる。
“ああ、この子に、何か話してもいいのかもしれない”

私は立ち上がり、机の引き出しをゆっくりと開けた。

中に入っている、あの白い封筒。
便箋は折り目のついたままで、何年もそのままにしていたもの。

――姉への、手紙。

高校の頃に病気で亡くなった、2つ上の姉。
本当は、伝えたかったことがたくさんあった。
でも、言えなかった。

言葉にすれば、どこかで“本当にいなくなってしまう”気がして。

だから私は、書けなかった。
名前も、宛名も書けないまま、手紙はただそこにあるだけだった。

「この子ね、あの時の私に似てるの」

犬に語りかけるように、私は便箋をそっと広げた。

「名前もないまま、誰にも呼ばれずに、ずっと部屋の隅にいたの」

犬は黙って座っていた。
でもそのまなざしは、まるで“わかってるよ”と伝えてくれているようだった。

「だからかな……この子にだけは、話してもいいかなって思えたんだ」

自分でも気づかないうちに、ぽろりと涙がこぼれた。

封筒の中の便箋は、うっすらと黄色みを帯びていた。
でも、その紙の感触は、今でもあの日の私を覚えている。

私は、もう一度ペンを持ってみようと思った。
あのとき書けなかった言葉を、この子と一緒に見つけていきたい。

ゆっくりでいい。
少しずつでいい。

いつか、この子に名前をつけられる日が来たら。
そのとき、私は姉への手紙にも宛名を書ける気がする。

ABOUT ME
PETS.編集部
PETS.編集部
編集長
PETS.では「ペットとともに愛に溢れる豊かな人生を」を合言葉に、ペットを飼ったことがない方にも、既にペットを飼っている方にも、愛に溢れた素敵な人生を送っていただくための価値ある情報、価値ある時間を提供するために、様々な記事をご提供します。
記事URLをコピーしました